Chihi’Log

物語の主人公はいつだって自分だ

病気の自分も、病気じゃない自分も、愛しいから。

 

春を感じる今日この頃、私は一つの手続きについて動き出した。

 

その手続きについて今まで全く興味がなかった。気付けば8年も放置していた。今回、交通事故にあったことや被災地への旅を通して、自分の生活を考え直すことが多く、ふとした瞬間に手続きをしようと思い立った。

 

 

私は現在も精神科に通院している。

それが自分にとっては結構な負担で、周りや医者に何を言われても、自分にとっては苦しいこと。その苦しさが覆されることはない(と現時点では)と思っている。

十年以上も定期的に通院していることについて、ずっと悩んできた。自分の中では一つのレッテルである。見えない病気、つまり精神疾患というのは見えないからこそ判断基準が難しい。どこからが症状で、どこからが性格で、なんて簡単には説明ができない。

 

だから私は自分が病気なのか、病気じゃないのか、という論争を一人何年も続けてきた。

 

誰かに「あなたは病気じゃないよ」と言われて安心する反面、どこか納得はいかない。じゃあ通院する必要がないのかというと、そういうわけでもない。通院については一つの面で必要性は感じている。

 

簡単な話ではない。一人で解決できることでもない。精神疾患は周囲のサポートが絶対と思う。そういう意味で迷惑をかけたと感じる人も私には沢山いる。恩返ししたいと思うと同時に、感謝してもしきれない。

 

 

心の傷は消えない。けれど、人生を通して癒えてはいく。

 

冒頭の文章の手続きを進める中で、過去にお世話になった医療機関に連絡を取る必要が出てきた。5年ぶりの方もいれば、10年ぶりの方もいた。後者の方については、私が一方的にシャットアウトしてから一度も連絡を取っていなかった。それでも電話先で私が名乗ると当時呼んでくれていた愛称で返してくれ、すぐに私だと気付いてくれた。私は当時から今までの色んな感情が溢れ出て、電話を切った後号泣した。そのくらい、私にとってはすごく感動的で、心揺さぶられる出来事だった。

 

生きていて、当時お世話になった方たちともう一度話せるとは思ってもみなかった。

 

人生はドラマの連続だ。

世の中に時効があるように、人の感情にも時効があることを知った。

 

自分の歴史を辿ってもいいのかもしれない。過去はいくらでも振り返ってきた。どうしても思い出せないことは今でもある。記憶から飛ばしたようなことも実感としてあるくらいに。

 

会いたいと思ったときに、話したいと思ったときに、動かないと二度とチャンスは来ないかもしれない。動いてみて初めて何かが変わり始めることを、今、身をもって感じている。

 

私の中で整理がつかないことが沢山ある。そう思いながら生きてきたので、無理に整理をしたり、区切りをつけようとした。

 

実際は、病気の自分も、病気じゃない自分も存在していい。

私という存在が中心にいることには変わりないのだ。

 

どちらも自分であり、どちらも認めていく作業が大事だ。私が私であるということに、何ら変わりない。そして私は一人論争を繰り広げてきたくらい、自分のことについて真剣に悩んできた自分が大好きだ。

 

 

一つの手続きを進めるにあたり、思いもよらないくらいにドラマがあった。

大人になったからこそ、当時の幼かった自分に再会できる。再会しても、抱きしめてあげていいことを知っている。

 

なにが起きるか予測不能な世の中で、私は私のために動いていく。

病気の自分も、病気じゃない自分も、全て私で、愛しいから。

 

 

 

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2023.02.26

 

CHIHIRO