Chihi’Log

物語の主人公はいつだって自分だ

今夜、大丈夫じゃない君へ

 

こんばんは。CHIHIROです。

 

今日のお話は

少しの暗さと

少しの気付きと

少しの感動を

お届けできればと思います。

 

 

 

 

 

「死んだこころは生き返らないんだ」

 

壮絶な体験をしたり

この上ない絶望を味わったことがあったり

「生きること」を本気で諦めたり。

 

人生で一度はある苦しみ、

とかでなく。

 

ある意味で一線を超えた苦しみ。

 

友人が言った

「一度死んだこころは生き返らないんだよね。」

という言葉にひどく共鳴した。

(これは共感ではない)

 

 

私は

「こころを失くした」

とよく感じていた。

 

人の苦しさを聞いたとき

別の世界から見下ろしている感覚。

 

別個なのだ。

こころが別個。

 

「人は皆、一人」

ということを

リアルで感じてしまっている。

 

傷ついて、傷ついて、

挙句の果てに自分で傷つけてしまった、

に近い。

 

自分が体験した記憶を思い出して

泣きじゃくる。

 

ある程度時間が経っていたとしても

それは「記憶」から

掘り返される。

 

 

大丈夫、ではない。

 

大丈夫、と言うしかなかった。

 

大丈夫、にするしかなかった。

 

 

空が綺麗だから幸せ、そう思わざるを得ない

 

自分が自分で大丈夫になるには

小さな幸せを探し出すしかなかった。

 

「空、綺麗」

と言ってよく泣いた。

「お花、咲いてる」

と言って笑うしかなかった。

 

テーマパークのパレードを見て

感情が溢れ出たこともあった。

あんなに綺麗で誰もが感動するようなものを見て

えげつなく泣いてしまう。

 

これはひどく傷付いたことがある人にしか

わからないのだと思う。

一定の人にしかわからない世界なのだ。

 

そしてそういった人たちは揃って

人の背景を考えている。

 

「なんでこう思うのかな」

「どうしてそんな気持ちなのかな」

 

これは探るとは別物。全くの論外。

 

自分が辛い経験をしたからこそ

身につけた人への思いやりである。

 

生きていくには

あまりに重たい荷物(=過去の記憶)

を背負っている。

 

荷物を下ろすということは

頑張って生きてきた自分を捨ててしまうような

必死こいて地に足ついてきた自分を放り出すような

つまりは

真っさらにすることの方がつらいのだ。

 

 

つらさに気が付くこころとは

 

自分の大事な人につらい過去があるとして。

ひどく泣いていたところに出くわすとする。

 

本気でつらい人には

「大丈夫だよ」と言ってはいけない理由が

今ならある程度わかる。

 

だって、大丈夫ではない。

(大事なことは二度言えと習った)

 

どうして欲しいか考えてみてほしい。

「どうすればいいかわからない」では

大事な人は救えない。

 

本当に大事な人なら、

本当に辛そうな状況なら、

 

その時間を

その場面を

その記憶を

一緒に過ごすしかない。

 

愛すべき存在

 

一緒に過ごすことで

ある程度わかってくる。

 

どういう時につらくなるか、を。

 

そしてそれはいつもではない。

 

むしろ

いつもは明るく元気であるに関わらず

急にスイッチが入ってしまうこと。

 

繰り返し、繰り返し

泣き出すことで

だんだん、落ち着いてくること。

 

要は、精算である。

気持ちを洗い出すプロセスに過ぎない。

 

ここで愛すべき存在がいると

また違うこころ持ちになれる。

 

パートナーでも

自分の子どもでも

親でも

友人でも

ぬいぐるみでも

ペットでも

なんでもいい。

 

なんでもいいから、

私は自分を選んだ。

(この選択は本気で偉い)

 

なんでもいいのだが、

選ぶにあたってひとつポイントがある。

 

それは

その対象を愛した時、

自分が幸せであるか

だ。

 

いつのときも

自分のこころがどう感じるか、

どんな感情なのか、

自分を最優先する。

 

 

私の場合

自分を愛そうと思った時に

「人のことも愛せるようになりたい」

と思った。

 

私にとって誰かを愛せるようになることは

幸せなことなのだ。

 

 

自分を可愛がること

 

つらさを抱えたまま大人になると

どこかのタイミングで

そんな自分が嫌になる。

 

ちなみに

嫌になっていい。

嫌になるのが当たり前だから。

 

このまま続けよう。

 

つらかったことを忘れようとしなくていい。

人を許さなくていい。

憎んでいたっていい。

死にたいって、言っていい。

 

そんな自分も、自分なのだから。

 

結局のところ、

こころの深いところで

自分を責めているという事実がある。

 

だからこそ

自分を可愛がるのだ。

 

最終目標はそこである。

 

自分が思っていることの全てに

「そう思っちゃいけないこと」

はないと思っている。

 

まるっと受け入れるのだ。

「私こんな思いでいたんだ」

で一時停止。

それ以上考えない!ようにする。

 

そうしていると

憎しみとか悲しみとか許す許さないとか

考えなくなってくる。

これは不思議だ。

 

でもきっと

こころが自分へシフトしたということだ。

 

 

つらかった記憶と、生きていく

 

それでも生きていく。

息をしていく。

 

だってそれだけで充分だ。

 

こんなにつらかったのに

生きているんだから

もう本当、

偉すぎる。

(本気すぎて語彙力なし)

 

 

何度も言おう。

 

大丈夫、ではないのだ。

 

でもそれでも、

やっぱりそれでも、

つらさを一緒に過ごすのだ。

 

私は思う。

 

幸せを「探さなくては」生きれなかった

自分や彼や彼女らが、

 

少しでも

幸せを「感じられる」こころを持って欲しいと。

 

 

自分や彼や彼女らが

精一杯今を生きていることが

最大限の幸せなのだから。

 

 

2021.04.12 

CHIHIRO