Chihi’Log

物語の主人公はいつだって自分だ

幸せへの航海

 

「私は元気だ!」と思えている今は幸せだ。

 

長いこと不安の海に潜り込んでいた自分自身を振り返ると、今の私は本当に元気だなと思える。

 

過去の記憶、つまりは苦しさを思い出しながら「あの時はこうだった」「こんな気持ちだった」と吐き出しては、その時と同じ気持ちを再度味わう。7年くらいそんなことが続いた。私にとってその7年間は暗い航海をしていたようだったし、未来のことなんて考える余裕もなく。ただ就きたい職があることだけが希望だった。それ以外は、自分が誰とどうなって、とか、何年後にはこう生きていたくて、とか、結婚や家庭を持つとか、ライフプランについて考える余裕はなかった。

 

過去についてあーだこーだ吐き出して思い出していたら、ある時「清算が済んだ」と思った。毎年苦しんでいたことが、その年の私の心には存在しなかった。

 

こうして思うのは、やっぱり悩む時間は必要なのだ。自分自身が抱える苦しさと、ある程度の期間は共存していかなければならない。これが苦しい。だから逃げたくもなり、言い訳もしたくなる。

私は自分にレッテルを張ることが逃げる手段だった。「私はHSPなのかも」とか「薬も飲んでるし」とか「診断名もあったし」とか。ただ、周りの誰もがそんなことを私に言っているわけではなかった。自分自身にあらゆるレッテルを張るのは、自分自身でしかない。カテゴライズしているのも自分でしかない。

 

幼いころの私は、自分でなんでも抱えて、言いたいことは吐き出せず、ただただ自分の中に「私の悩みは小さいのかも」と秘密が増えていくばかりだった。

 

 

当時の私は何も吐き出せなかった。

数年経ち、その頃の記憶を思い出し吐き出せている。

そして今は清算が済んでいる。

 

 

私はこのプロセスを自分で評価してあげたいと思っている。

 

興味深いのは、つらい出来事があった当時より記憶を吐き出していた時のほうが断然つらかったということ。一度絶望を見た当時ではあったが、そこから7年も停滞は続いた。その記憶との共存のほうが、つらかったのだ。

 

それでもその7年があったから、今の私が居る。つらかったけれど、泣きながらも眠れなくなりながらも自分を傷つけながらも、向き合ってよかったんだと思える。

 

なんでもかんでも向き合えば済む話ではない。向き合っても変わらないことももちろんある。それに心に抱えた傷は消えないのだから。

私の場合は「元気な自分に戻りたい」とよく言っていたし、それが一時的なものであったとしても心の奥底では原動力になっていたのだと思う。

 

学んだことは、元気な自分に「戻る」ではなく、元気な自分に「出会う」ということ。

私たちは過去に生きているのではないのだ。

再会ではなく、新しい自分との出会いなのである。

 

 

傷は消えない。だが時に癒えることがある。

変わらないこともある。だが時に変わりたいと思うことがあるかもしれない。

 

人生の小さなきっかけに、希望を見出していい。というより、自分の中のきっかけを全身でキャッチしてあげていい。

 

 

 

あなたにとっての幸せはなんだろう。

 

私は。

今此処で息をして、自分なりの健康を感じながら元気に生きている。

それが本当に幸せなことなんだと胸を張って言えます。

 

 

 

 

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CHIHIRO