長く伸ばした髪を、切ろうと思った。
しかも、ばっさりと、もう大胆なイメチェンをしたいと思った。
そう思った夜、早速美容室の予約をした。思い切って髪を切るときはいつもドキドキする。
なにかを変えたいと思ったとき、行動してしまった方が早い。変えたいと思うなら、変えてみることなのだ。考えているより、アクションした方が好都合なことなんて世の中たくさんある。
20代は、愛に生きている。
誰かに向けた愛もあれば、自分に向けた愛だってある。
私は少し、他人を優先しすぎてしまったのかもしれない。
目の前の誰かの機嫌を損なわないように、時間を奪わないように、予定を邪魔しないように、きっちりかっちりやってきた。誰かにお願いしたいとき、その誰かの”何か”を奪ってしまったらどうしよう、と考えてしまって、結局自分のお願いをうまく言えないことが多かった。相手に合わせたほうが楽だった。相手の都合を気にしてあげたほうが楽だった。
我慢していた感覚がなかった。一切、なかった。
けど、なんとなく、私もう充分頑張ったなぁ・・・と、心のどこかで自分が泣いている。
そんな自分を今の私は放っておけなかった。そのままにはできなかった。
きっともう少し若ければ、私はそれでも他人を優先しただろう。色んな気持ちに向き合い、過去を清算し、自分がどんな存在なのかを問うて。そんな繰り返しをしていたから、自分を放っておくことは絶対にしてはいけない、そう思えた。
愛とはそういうことだ。私が私の気持ちに一番に寄り添わないでどうする。ほかに誰が私の気持ちに寄り添うのだ。
自分へ愛が向くと、わがままな自分に出会った。それはもう、私にとっては苦しい出来事だった。わんわん泣いていいんだよねとか、嫌な思いしたときに「えぇ?」って思っていいよねとか、ある時はすごく拗ねていたりした。
そんなわがままな私に出会って、思い出したのは幼少期だった。こんな時、私の記憶はいつだってつらかった頃に繋がる。色んなことを我慢し続けた14歳の頃。それは我慢ではないのかもしれない。おそらく、抑え込んで仕舞い込んでいたのだと。私はもっと楽天的で、いつも全開笑顔で、わがままだった。そんな幼少期を思い出した。
わがままでもいいか。わがままな自分と一緒に居てみるか。手を繋いでみるか。繋げるかな。わがままな私を、私は抱きしめてあげられるだろうか。
ただ、自分のリクエストを聴いてあげようと思った。それがわがままでもなんでもいいから、私は私の声に応えてあげたい。
28歳は、大胆に生きると決めていた。
私がしたいように、とらわれず、なりたい自分へ近づくのだ。
また、描きます。
CHIHIRO