年が明けてから、いろんな思いを消化するためにゆっくり過ごしている。
なにかをしなければ、というよりは、どうすれば少しでも穏やかに過ごせるか?というところに重きを置いていた。

周りに居てくれるいろんな人たちと話をしている。いろんな人たちと話をする中で、自分はもう次のフェーズに向かっているんだなと気付く。
人生は、自らこちらへやってこない。
私がどう考えるかで、人生は動いていくのだ。
人生に問われている。
「あなたはどうしたいのだ。どうするのだ。どういう答えを出して、この先を生きていくのだ。」と。
なにかが起きると私たちはその出来事を通して、受け取り、受け止めなくてはいけないことがある。時間は止まらない。進んでいく。だから私も同じように考えながら進んでいこうと思うのであって、止まっている気はしない。急いでいる気もしない。ただ、ただ、自分なりに一歩ずつ進んでいこう、と思うだけだ。

昔から自分の中にある決意や覚悟が固い。
それらが固すぎるので、いつも柔軟性には欠けてしまう。
ただ、その決意や覚悟がいつでも私を救い、守ってきた。私には私がいる。それは一見寂しいようで、今となっては心強い。どんなことがあっても、私が私を守ってくれる。大丈夫と言ってくれる。
何かが変わる時は、それを取り巻く全てが変化した結果である。なので、自分のことも周りのことも環境のことも責めてはいけない。全てが結果でしかないのだ。それを受けて、私がどうしたいのかを考えていく。
考えるプロセスはなかなかにつらい。だが、その時点でもうひとは次の人生に向かっている。あとはその時が来れば、次の人生へと航海していくだろう。

良い時期を生きている。
「20代、楽しいでしょ!?」とたくさんの人に言われてきた。もちろん目一杯楽しんできたし、楽しい思い出でいっぱいだ。
でも今の私はちょっと違った目線で楽しんでいるのかもしれない。
自分の辿ってきた人生が自分にとっては間違えてなかったということを、目の前の人生が証明してくれている。自分の底力を信じている。私はこういう時の立ち上がり方を知っているから、もう大丈夫。
人生に問われている。
今こそ私が私の生き方を貫く時である。
また、描きます。
CHIHIRO