昔から、居場所という言葉が好きだ。
つらかった中学時代、「居場所なんてない」と感じていた。学校にも、校外活動のマーチングにも、家にも、私はどこにも居ることができなかった。
人は、帰りたくなる居場所があるから安心できる。
今はそう胸を張って言える。
あの頃の私が欲しかったのは、安心感。「ここに居ていいんだよ」と、「大丈夫だよ」と言ってもらいたかった。幼かった私にはそれを求める術などなく、とにかく毎日を生きるのが精一杯だった。
26歳の1年は、なんだかそんな幼かった私をよく思い出していたなぁと思う。
以前みたいに思い出してつらくなるというよりは、なんだか懐かしい気持ちになっている。そんなこともあったなぁと、大人の私が幼い私を見下ろしている感覚にいる。でもまだ手の届く距離にはいる。・・・すごく感覚の話になるのだけど。
癒える傷はあるのだと思う。
どんな出来事も過去になっていく。過ぎ去っていくのだ。それを過去だと認識するのが大変なだけで。
今、居場所は自分で作っていくものだと感じている。
自分から動かないと人は必要な居場所につながれないのだ。
大事にしたいと思う居場所がある。
ここに居たら安心だ、安全だ、と思う居場所がある。
どこにも居られなかった私にも、今、自分で築いた居場所に居たいと思えている。
それだけで充分だ。満たされる。
27歳は、「愛ある居場所」。
そんな言葉をテーマに1年間を過ごそうと思っています。(まだ誕生日は先です・・・!笑)
また、描きます。