Chihi’Log

物語の主人公はいつだって自分だ

自分の中の愛を知る

 

こんばんは!CHIHIROです。

 

友人に勧められて手に取った一冊の本。

 

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いつも自分のせいにする罪悪感がすーっと消えてなくなる本

カウンセラーを職とする根本裕幸さんが描いた本です。

 

 

本日はこの一冊を読んで感じたことを書き記していきます。

お付き合いください♫

 

 

不器用さゆえに

私たちは愛を持っているに関わらず、それを上手に表現できない時があると思います。私の両親がそうでした。

 

でも私にとって両親は「毒親」ではなく、「不器用な親」でしかありません。

 

それを私に教えてくれた最初の恩人は、中学時代のカウンセラーでした。「CHIHIROちゃんはただお母さんに、大丈夫だよって抱きしめてほしかったんだよね。」と私の心の内を言葉にして表現してくれた方です。今でも思い出すと泣けます。涙

 

愛は、知らぬところで暴走してしまうものなんだと思います。

本当は「あなたが大切」って伝えたいのに、「大丈夫」って抱きしめたいのに、「私がいるからね」って背中をさすりたいのに。

それが上手にできなくて、違った表現で愛は暴走してしまう。相手はその暴走した愛を受け取るしかなくなります。その結果、「私は愛されていないのでは」と錯覚してしまいます。

 

 

受け取った愛に目を向ける

大人になって客観的になれたり、冷静さを身につけたりすると、「愛されていない」錯覚は落ち着いてきます。それでもかなり時間はかかりますが…。

どうして落ち着いて来るのかというと、両親の背景を考えたり、愛があった瞬間を思い出せるからです。

私の場合、今まで生きてきた中で「お母さんは大変だったんだ」と思うことが結構ありました。そう勘づいた当時「じゃあこうなるのは仕方ないな」と少し諦めていたのです。実際、仕方ない訳はないと思います。

だって、母は母で、私は私で、家族は家族でしかないのだから。

母が受けてきた愛と、私が母から受けた愛は、分けなくてはいけません。

母は自分が受け取ってきた愛の形を変えて、私を愛してくれているわけなのです。だから私には充分すぎるくらい幸せな記憶が沢山あります。その幸せな記憶に気が付けるか、いや違う。

その幸せに目を向けられるかが愛を知るポイントなんだと思います。

(時に目を背けたくなる時期は必ずあります)

 

私が幸せになることで

私は私で幸せになる。母は母で幸せになる。大丈夫と信じる。

究極のおまじないはこれです。

結局は「母の喜ぶ顔」が見たいのでした。母が喜ぶと幼かった私は嬉しかったのです。でもいつの日か母は仕事で疲れていて私の話は聞いてもらえず、私はどんどん心を閉ざすことになっていきます。

 

今の私は、私が幸せに過ごすことが一番の母への恩返しだということを理解しています。

 

ずっとずっと、隠していたのは私は母が大切ということ。母へ愛があるということ。

私自身も不器用です。だからこそ、私の目は問題に向いていたのでした。愛からは目を背けて。

 

自分の中の愛を知る

私の中にも愛があることを知る。そして受け止める。それだけで充分に幸せです。満たされます。

誰かに何かをしてもらいたかった、とか、これだけじゃ足りなかった、と思うのなら。今から自分が変わる一歩を踏み出すのです。あなたがあなたを満たしてあげる。傷を癒してあげる。つらい心と一緒に居てあげる。

 

私は本を読んで、そしてこの記事を描きながら、母に手紙を描こうと思いました。

 

今、こうして涙を流しながら愛について考えているのも、私が私でなければできないことです。私がいるのは、母がいるから。

 

 

25歳にして、生まれてよかったなと、心から思っています。

 

 

また、描きます。

 

 

CHIHIRO